遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

ニシン

明治45年秋。ドラマによると大正初期が鰊漁の最盛期だったのでしょう。ニシン御殿が今に残っています。  でも、両親は終生お節料理の中に入れようとはしなかった。多分、ニシンは肥料として収穫したようで “ 猫またぎ ″ といわれたらしい。
カズノコにしても、鰹節と醤油をかけて食べることに揶揄があったようです。


地域的差はあるにしても、一年の準備期間が異様に長く、反面漁獲の期間が短い、それでいて都会への運搬も問題があったという。一種の大博打の要素があったらしい。


少しづつでも取れ、ニシンは少しづつ増えつつあるそうだ、養殖もあるという。
大量にとらなければ、持ちつ持たれつというのもある。

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