遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

歌川広重ー京都

絵の中央付近が清水寺と言われています。ということは大阪側より描いたものでしょう。
しかし、柱脚部分は秀吉の頃から石だったそうです、何故か、広重の東海道五十三次の浮世絵には藤沢では遊行寺に階段がないのに描かれていたりと多々ありますが、貴重な資料と旅をしているつもりで楽しんでいます。
広重が旅行して書いたとか、弟が歩いたとか喧しいですが私にはどうでもよいことです。
楽しみながら見ると、当時の事を垣間見ることができるような?

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