遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

203ー3


機関銃は南北戦争直前に医師が発明しましたが、毎分200発という膨大な消費量による 弾薬運搬のために使用されずじまいだったようです。太平洋戦争当時の兵士の携行弾 数は120発でした。 実は機関銃の存在を知らなかったか解らなかったのは意外にもドイツ軍でした。暫く して勃発した第一次世界大戦で機関銃の前にひたすら進軍してきたといいます。


さて 203高地、多大な犠牲といいますが最近の資料では後方の攻城砲と歩兵の突撃の共同作 戦の為に自軍の砲弾による犠牲者も多かったようです。

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