遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

京師(京都)


浮世絵に深入りすると殺人事件に巻き込まれるという、些か物騒な言葉があります。
広重 の絵には疑問があるといいます、東海道旅行に行った行かないはかなり根深い物騒な側面を感じます。兎も角、京都にも潜んでいました。
三条大橋の橋脚です、広重の浮世絵では木材ですが古くから石材が使われていたようです。


殺気の表情で激論するのは私は好まないのですが、浮世絵にはそんな強い魅力があるのかもしれません。私は現在と浮世絵の共通点を探して楽しんでいます。(由比宿の薩田峠等)
京都は大阪から見ています、中央の中央が清水寺付近だそうです。  参勤交代中の大名が京都では天皇家や公家との出会いを事実上禁止されていたようです。更に関ヶ原を通過することをしないで伊勢方面に南下したようです。


おまけ。 関ヶ原合戦において午前中は石田三成善戦といわれ小早川秀秋の裏切りによって決着がついたとされていましたが、最新の研究では朝一番から家康軍圧倒的勝利となるようです。

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