出島




1812年、ナポレオンがロシアに敗北。1868年明治だが、西郷隆盛は本で知っていたそうだ。どの様に伝搬したかさだかではないが、文字の読める人に知られていたようだ。
ただ、楽器、音楽については入って来なかったようだ。出島に芸術部門の輸入がなかったのは実に残念なことだと思っている。もし楽譜、小さな卓上チェンバロがぬ入荷していれ我が国の音楽史が大きく変わったであろう。
鬼平犯化帳によれば、賄い係の長崎行は左遷でなく西洋料理研修体験と喜んでいた。別の時代劇では長崎奉行勤務はしんしょを作ると言うのもあった。
問題は出島の通訳はどこの藩、誰が担当していたのだろうか? 近隣藩の福沢諭吉、オランダ語をマスターし上京、だが通じなかった。
1年で英語をマスター。(開国前に2度ヨーロッパに行っている)
おまけ。ペリー来航時の英語はオランダ語⇒日本語⇒オランダ語⇒英語とちょっと複雑だがオランダ語を介して会談したという。