遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

動画サイト

インターネットから芸能人が出たり、テレビ出演で生活が成りったている人も登場、中には大統領晩餐会に出席する人もいる。 なかにはサイトに食い込もうとやや落ち目の芸人がトラブルを起こしたり話題は豊富。


私もよく視聴ている。今時、声も機械を使っていますが、耳だけでは区別がつかなくなっていますが、漢字の音訓読みには少し問題があるようです。意識的にやっているのか、ソフトに手を入れるのが大変なことなのか、チョットです。                    やまとあさにわ・・・大和朝廷だったり、サトひろみ・・・郷ひろみだったり、不可思議魔訶不思議なことがある。


ふと思い出した、ごぜんかいぎ・・・午前中と暗号解読したアメリカ軍を思い出していた。




サツマイモ植えました。  8苗をメラクリン用に考えています。根付いているようです、50cm程伸びたら、切って苗を増やすつもりです。そして、1束25苗も植えました。
直ぐには植えられないのでどちらも1ヶ月待ちです。でも待っているのが素人の楽しみです。 イチゴも色付き、ジャガイモ、何故か菊芋だって発芽しています。豆類もよい伸びをしています。


おまけ。



少し早いようですが、ソラマメ、グリンピースを収穫してみました。小振りですが、5月3日はかなり早いのですが?  畑は小ジャングル擬きですが、成長と収穫の関連どうなどでしょうか?    何事も経験と勉強でしょう?

花谷正

72歳なって初めて聞いた人名だった。  終戦時51歳というから開戦時47歳、もっとも63歳で逝去している、葬儀には一人の部下・仲間は参列がなかった。陸大卒業しているのだから一流大学の大学院並み以上だろうが、真面な指揮は執れなかったようだ。終戦時の年齢は若年痴呆症でもないと思われるのだが?   今日、残っているのは部下への自決命令だけで変などであり。( 大戦中の陸大は何を教えていたのだろうか?)


言いたいのは、そんなことではない。( 今もいる。)   この人、気が小さく空威張りが多く孤独なのかもしれない、戦後就職もせず一人ボッチ。度量と成績は別物なのだろう。
原爆と水爆では開発者の神輿が異なる? 兵器開発だがお祭り気分で作るのと、屍を越えてゆくのでは違うこと。

松姫 最中


少し前の大河ドラマで、新島譲の妻を放送していた。幕末を福島県から東京、京都を見ていた珍しい時空間だった。白虎隊のシーンなら学芸会で何度と見ているが、ケーキに載っているサクランボみたいで歴史ではない。


会津初代藩主の名君、保科正之。その養育係が松姫だった。父親は2代将軍徳川秀忠、3代将軍徳川家光とは異母兄弟。正之は江戸城内ならば生きてはいられなかったろう、本来の母親は淀君の妹、側室を認めなかった人。(息子は将軍、娘は皇室に嫁いだ、日本最高の栄誉を持ったのはこの人のみ)  


私の小学生の頃からの郷土の名菓、でも全国制覇はしていない?松姫だって武田信玄の娘。1600年ちょと前の人。保科正之養育最中とネーミングすれば関東制覇したかもしれない。


おまけ。最中、市内の駅前を探し回り、何故か忘れてしまったという訳あり品、何故か生涯で2度程、あまり身近過ぎて形しか知らなかった。