遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

ポツダム宣言

終戦斡旋国とあてにしていたソビエトが参加していた。これを日本は知らなかったとラジオはいう。外国記者が武官に、そして打電したものの握り潰したのが瀬島龍三というが、またヨーロッパ戦争終了後の5月、ソビエト軍の兵士、兵器等がシベリア鉄道で東に向かっていたのだが打電しても結果は同じだった。


駐ソビエト大使・佐藤尚武はソビエト政府に呼ばれ 「 宣戦布告 」を言い渡された、時差の関係で満洲国では1時間後だった、さらにモスクワの大使館の無線は封鎖されて使用不可能。    大使はソビエト侵攻を厳しく否定的かと思ったら、“よくあること“ と極めて冷静。


7月末というのに終戦まで2週間、日本は会議の連続で追われた。   サブジェクト・トゥーの文言一つ、 天皇制廃止と訳した。 ソビエト大使、スイス大使は電文を送った、外務省も天皇廃止を否定、にも関わらず延々と遅延した。


おまけ。駐スイス大使が加瀬俊一ですが、私の知る先輩で外務省勤務の同姓同名の偉い人で大・小をつけていました。ですから写真は  “ 小 “ の人です。




降雨もなく、記録的暑さが続き熱中症の搬送される人多く連日テレビで速報が流れる。
水も1200リットル使いきる寸前。まあダム清掃と割り切り掃除に徹すつもりです。少なくとも来週まで雨降らず、普通台風とかあるものですが、今年はありません。喜んでいるのは薩摩芋位ですが、この夏は島津様日和りといたしましょう。

×

非ログインユーザーとして返信する