遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

神田駿河台

5月5日は端午の節句。    旧暦ならば梅雨の頃。
鯉幟は五月晴れの日に何故か武具の虫干しから来ているそうです。


右下( 黒丸 )の人々のさしている傘からみて雨の日の鯉幟でしょう。しかし、木綿や和紙で作ったものでは吸水して重くなり空を泳げるかどうか、かなり微妙なことです。( 私は雨が降ると鯉幟を降ろしていました。)


中央の( 赤四角 )は武家町の三﨑町。幟と言っても旗です。当時、町は安政大地震で焼失、倒壊してありませんでしたが、画伯は “ 頑張れ “ というメッセージが込められています。 江戸百景は復興想像図が多くあります。( 津波の時、ありましたよネ )


おまけ。広重画伯、徳川家臣で定火消しだった。(  後を息子に譲り、隠居 して絵を書いていた。) 特に江戸百景は安政地震、台風災害の影響を復興という形が秘められている。
         端午の節句。武家の虫干しの吹流し、甲冑を見て町人が憧れ真似をしたのだろう。

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