遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

2024年1月のブログ記事

  • 幻・東京

    明治期、不平等条約には政治家は苦労したばかりか一般庶民にも波及した。そんな訳でドイツ人に首都・東京の主だった建築設計を依頼した。殆どプランニングで終わってしまったが、本国ドイツに酷似した建築物がある。( 活字で書くより分かりやすい国会議事堂だが、場所は同じ所です。) 皇居。建築はされませんでしたが... 続きをみる

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  • すき焼き

    20歳頃、スキー教室の夕食時に部屋の住人が来ずもう少し「 待とう 」というのも聞かずに憮然たる態度と自分の肉片を数え焼き、憤然と食堂を去って行った。私は半世紀の間落ち込んでいた。 鋤という農具で焼いたとあり、私の食べ方は煮込みだそうだ。 では、野菜や白滝をどのように食べたのだろうか? この料理人に... 続きをみる

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  • 税金

    解かっているようで解らないのが権力者への金銭。江戸期の場合、面積から取れる年貢、分配はともかく飛鳥時代まで同じ。モンゴルのフビライハン、ウイーンのハプスブルグ家等は塩の販売、あるいは金銀の専売権で国家を運営していた。 現在も天然ガスや石油で肩で~~~ 。 かなりの独裁国家でも税務署などがあり、フィ... 続きをみる

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  • 吉備真備 🥗

    吉備真備は岡山の地方豪族の御曹司。 遣唐使として阿部仲麻呂と共に入唐している。 18年留学して学んだが、岡山では囲碁を伝えた人として有名だとか?   囲碁など遊芸のプロと思いきや、技術系の研究者で理系のエンジニアといったところ。今と違って守備範囲が滅茶苦茶に広かったのだろう?   ( 亡父、明治4... 続きをみる

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  • 外交

    日露戦争・アメリカポーツマス会談において、1円の賠償金も取れず国民の大きな期待を裏切り、全権小村寿太郎は帰国した。少数の関係者のみが小村を迎えたという。直後、日比谷焼き討ち事件が起こっている。 松岡洋右、国際連盟脱退時の全権、あまりに有名な出来事で動画を見ることが今日でもできる。意外にも松岡自身、... 続きをみる

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  • 文字⁉⚾⚾

    戦後3年位だろうか、3万人に及ぶ戦争花嫁はアメリカ国内の軍事基地で研修を受けた。 中でも家庭電化製品の実習、トースター、掃除機、洗濯機等々、見ようによっては文化のギャップがあったのだろう。( 後に韓国、ベトナムの花嫁もここに集められたのだろう。) 古墳時代かその後か、大陸から九州に米、絹、仏教、文... 続きをみる

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  • 豊臣秀吉👓

    秀吉と蜂須賀小六と出会いは橋の上と決まっていますが、地元では船の中で菰を被って就寝中ということになっていますが、近年の研究によると岡崎( 八丁味噌 )豊橋( 海産物 )辺りの名産品を探していたようです。木曽川・長良川・揖斐川を下って薪や炭を運んで名古屋地区を独占したのですが、帰路何かを積んで販路を... 続きをみる

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  • 年賀状

    今年は縁起良く始まりました。と言っても年賀状のお年玉抽選のあれです。あれが4枚当たったと言って大喜びですもう、60年以上続いているささやかな年中行事です。 小型シートです、様々改革はあったようですが、子供の様に嬉しさがあります。喪中の書状を出した時は正直気がきではありません。 今年の年賀状で、25... 続きをみる

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  • 能登半島地震

    能登半島で凄い地震があった。豪雪のある地方にしては少し脆弱な家屋と感じた。元旦ということもあったが、降雪のない不思議な印象があった。 津波のあった10年程前の大地震から比べれば、時間も短く、マグニチュードも小さかった。4mに及ぶ隆起、これだけで家屋はもたない。震度とか揺れとか言っても、計り知れない... 続きをみる

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  • 権力者 🍙

    権力者になると政権を維持しようと法律を作り、憲法を変えてまで椅子を守る。某国、ライバルを潰し事実上並ぶべき人もないそうだが、国民も密告・圧力政治慣れすぎ、言わず語らず。どうかすると尻尾さえ振る。  だから革命でもない限り生涯トップにあり続ける。 だが総じて、自らの食事の始まって、住居、一族、つまり... 続きをみる

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  • タブレット

    大リーグ大谷選手のバッティングの後、タブレットを見ている姿をテレビでよく見ることがありました。あれって、プロ選手達が通う? ジムのような所で出されているコンピューターのソフトウェアと連動しているような端末機みたいなもので、様々なことがわかるようで、CGと数値など多様なことが瞬時にわかるもののようで... 続きをみる

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  • 雲母 🙆🏻‍♀️

    海底が隆起したような平坦な平野が広がる。ポツンと小さく低い山がある、登ると三河湾の島々が一望できる。 その山から雲母が産出された、( 今でもカケラ位は拾える ) 浮世絵の背景に銀粉のように使われたり、アイロンの絶縁材としても使われた。英語名シリカ、別名雲母、キララとも呼ばれた。・・・・松任谷由美夫... 続きをみる

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  • 宇治茶 🎨

    宇治茶は京都に近く、銘茶としてあまりにも有名、ただ狭いので愛知県西尾市の茶を加工している。(大阪の 昆布も北海道産を使っている、コーヒーも国外産・・透破抜きでない ) その西尾市、茶木に施肥をするなど手間をかけて、少し甘いそうだ。今、青年会など風呂に茶を入れる製品を開発しているとか、町興しが極めて... 続きをみる

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  • 国際電話

    12年前でしたか。息子が初めて学校の遠足?でイギリスへいった時だった、当時の現地の携帯電話もレンタル製で、然も高価。仕方なく国際電話を宿舎より掛けてきた、音も悪く元気にしている以外よくわからなかった。  翌年のドイツ遠足も携帯電話で電報文が送付できたとかできなかったとかの程度。  更に翌年、遠足は... 続きをみる

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  • 夫婦喧嘩 1号

    新婚旅行先のホテルの夕食はロブスター付きバイキング形式だった。一応世界各地の人大勢がロブスター焼きに列作っていた。 スパゲッティのシュリンプだってかなり大きなものだった。( 食べ残しが無いほど運ばれていた ) さて、私達の席はデザートが並ぶ前にあった、菓子店のように色彩、大きさもバイキング料理等を... 続きをみる

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  • 江戸百景

    70歳を過ぎて江戸名所百景見るようになりました。子供の頃から東海道53次浮世絵の現在との比較を探して楽しんでいたのですが、最近は“ 江戸百 ″ を訪れるようになりました。 江戸名所百景は幕末期、安政地震で倒壊したり、傷ついたものを暖かく包み隠すように描いています。「 震災なんかに負けないで頑張ろう... 続きをみる

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  • 木挽町

    棺は四国をメインに日本人口分確保してあるとのこと、勿論合成材で平たく畳であろう。 明治期以前はべニアというような薄く接着剤で貼って作った合成材はなかった。 江戸期、鋸で切断したものしか出来ず、畳( 3x6版 )となると無垢板になり厚く高価、当然権力者、富裕層しか持てず、時に花鳥風月が描いたようです... 続きをみる

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  • 江戸百・中川口

    浮世絵の説明しましょう。上部の川が新川。下部が小名木川。右が行徳川。左側にも川のある十文字の地点で。江戸城までは7kmという所。 左下に屋根が少し見えますが、番所です。銚子から、行徳から荷物運搬、人の往来が盛んで一種の関所がありました。だから、船上の客は被り物を取りイミグレみたい? でしょ。 現在... 続きをみる

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  • 米内光政🛴🎄🛸🍋

    米内光政。海軍兵学校を中程で卒業、この時どう見ても将来、海軍大臣、総理大臣になる逸材ではなく“ グズ政 “ の渾名があった。つまり、軍政畑の人ではなかった。 昭和12年の頃か、日独伊三国軍事同盟を前の五相会議において米内はアメリカとの対戦を拒否し官僚で唯一の発言だそうだ。( 終戦まで ) 何故か、... 続きをみる

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  • 横須賀ドック

    幕末、横須賀ドッグ建設に小栗忠順が  “ 蔵付き売家 “  と微笑んでいた。勝海舟は「 買えばいいではないか 」と訝っていた。  バルチック艦隊を撃破した東郷は小栗の遺族に感状授与。随時メンテナンスが行えたことが大いなる貢献だった。 太平洋開戦時、戦艦金剛はイギリス製。零式戦闘機の20mm砲もスイ... 続きをみる

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  • ハインリッヒ・シュネル

    幕末期、武器を売らんと色んな国から色んな人が日本に来た。フランスは幕府教練指導に来日。  ドイツ貿易商は兄弟で来日している。兄は通訳者から会津藩の参謀になり、弟は武器商人を続けている。   明治2年、カリフォルニアに妻子と共に40人を連れて移民している。 ワカマツコロニーと名付けている。弟は一度は... 続きをみる

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  • 大返し

    “ 大返し “  備中高松にいた羽柴秀吉が急ぎ京都に向かった、あまりの速さに歴史に名を刻んだ。しかし、ドラマでは完全武装で走り抜くことになっているが、どうやら最近そのようなシーンは無い。                           サッカー、野球、音楽にいたるまで輸送部門が運んでる。それで... 続きをみる

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  • 縦長

    絵画には疎い私の話というより、切手から見たお話です。 日本の国宝級の絵画は意外と縦長の絵が存在している。屏風と絵巻物ものを除くと、床の間に飾る、吊るす掛軸の文化が普及しているからだろう。 あまり横長だと敷居の上に置くようだろう、茶室には大型の掛け軸では不向き、ましてやミニアチュールの小部屋の文化も... 続きをみる

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  • アドバイザー

    太平洋戦争、日米二国のみならば昭和17年末で停戦。サイパン陥落で終戦もあったかもしれない。世界大戦という以上、主だった国々の “ 長 “ が参戦中で相談も仲裁国もなく孤立していたのが不運にも悲劇的。  この時、陛下は  《大山巌 》がいたらと漏らしたという。 大山は御意見番、指南役だったのだろう。... 続きをみる

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  • セメント

    ローマの建築物はほぼ築2000年。地元で採取可能なコンクリートが使われています。 鉄の金網とセメントで作った植木鉢が鉄筋コンクリートの原型となり・・・・そんなことを教わったのですがローマの建築物は鉄筋など使っていません、なまじ鉄筋が入ると腐敗により寿命が短いそうです。 半円形のドーム、43mですが... 続きをみる

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  • 蹄鉄

    広重描く江戸百景・内藤新宿の馬の足を・・・草鞋をご覧ください。実は明治になるまで蹄鉄がなかったのです。物心つく頃には馬の姿は観光か競馬でしかありませんでした。ドラマの中で馬を見ますがほぼ蹄鉄しているようです。   蹄鉄は2世紀頃、アラブ人が発明したとか。ナポレオンが冬将軍に敗れたのは馬が蹄鉄してい... 続きをみる

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  • 樋口一葉

    有楽町駅から皇居よりの近くの内幸町の官舎で生まれ、現在プレートがある。( 東京駅八重洲口近くに画家の安藤広重の居住した石碑がある。)しかし明治29年に逝去している。 夏目漱石・森鴎外も明治後半に活躍している。一葉と同時期に文筆活動したわけではない。 一葉の頃だと、幸田露伴がいた。   ( 意外にも... 続きをみる

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  • 吉田満

    「戦艦大和」の著者 吉田満 進駐軍の検閲を意識し全文カタカナ綴りで古文風としている。奇しくも太平洋戦争記録文学として1、2を争うそうである。  著者は学徒動員で東京帝大より大和に乗り込み、戦後は日銀勤務。 家族によれば・・・・ アイドルグループ、キャンデーズお気に入りでテレビを見ていたそうだ。中で... 続きをみる

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  • ドナウ川の畔に咲く桜のような花。杏(あんず・アプリコット)で収穫量世界一だそうだ。 カイザーシュマインといって、王様の大好物という。パンケーキとジャムを添えたこの地では一般的な家庭料理というか菓子というか、日本で言えば団子みたいなものかもしれない。 “唐桃“と言って、ドナウ川とライン川と運河で大西... 続きをみる

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  • 地中海クルーズ

    地中海にはエーゲ海クルーズと地中海クルーズの2つがあるようだ、ギリシャやイタリアから出港する航路だろうけれど、ヨーロッパまで飛行機に乗れない私には夢のまた夢。 エーゲ海はサントリーニ島を除き、今はなき遺跡巡りが多いように思われるが、地中海クルーズはバルセロナのガウディ、マルセイユ、ナポリ、ポンペイ... 続きをみる

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  • 由来

    恥を述べますが平家物語冒頭のある、「祇園精舎の鐘の声」の一文、私はてっきり京都のある寺院とばかり思っていたが、仏教発祥の地インドにあるそうです。もっともちょと前まで、カンボジア、アンコール遺跡と誤認識されていたようです。 インドから中国・朝鮮を経由して日本に伝わったようですが、様々微妙に変化したも... 続きをみる

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