遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

外交

日露戦争・アメリカポーツマス会談において、1円の賠償金も取れず国民の大きな期待を裏切り、全権小村寿太郎は帰国した。少数の関係者のみが小村を迎えたという。直後、日比谷焼き討ち事件が起こっている。


松岡洋右、国際連盟脱退時の全権、あまりに有名な出来事で動画を見ることが今日でもできる。意外にも松岡自身、大失敗を意識して足取り重く帰国した、が意に反して英雄に祭り上げられていた。     議会場の松岡と日本の外務大臣と直通電話で結ばれ全権を指示していた。この外務大臣、説明するのにだいぶ時間を要するが内田康哉という人、大臣任期の最長。記録を持つ

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