遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

2023年3月のブログ記事

  • 頭より大きなイチゴを頬張った時、エベレストの頂上に立った時だけが至福の時ではない。 朝が来て3食食べて、風呂に入り布団の中で眠る。何気ない日々の積み重ねがいいのかもしれない。 起床して、パンに乗せるジャムが良い。砂糖抜きで旨い訳がないのに、塗るだけでこれが意外に気分がよい、これが至福の時かもしれな... 続きをみる

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  • お金があると

    戦勝したと言う大国、確かに貧乏だったためかインパクトは無かった。本音は広い面積を持つ点では間違いなく大国だったが留学しようというものは多くはなかった。その頃でも矢鱈目鱈とプライドだけは高いものがあった。しかし、鉱物が出たり経済的に世界に影響するようになると、そっくり返るように歩くようになる。でも、... 続きをみる

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  • 桜咲く

    桜、満開です。だから車を止めて撮影しているか、休養をとっっているか何かノンビリしています。わざわざ高性能のカメラを携えてポイントを探している老人達もいて春だなーと思います。 多分道路の長さは1km。高低差50m。5m置きとして400本の街路樹になります。数えてみたら途中片側で175本ありました、入... 続きをみる

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  • 子孫

    独身主義、同性愛者を賛美しないまでも、だが余り批判的でもない。人それぞれの考え方があり否定もできない。 大きく歴史的に見れば絶対に反対なんちゃってネ。 豊臣秀吉にちゃんとした息子がいたならば、歴史はまた違ったものになっていたでしょう? 20余名の側室がいて最晩年に秀頼のみではバトンの継承は難しかっ... 続きをみる

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  • ハモンドオルガン

    老人施設にプラスチック製のよくある衣装ケース一箱と大型のオルガンが運び込まれて来た。  聞けば国大卒業後、山岳ガイドとして長野あたりの山に籠もっていたという。やがて某レコード会社専属の作曲家になりオーケストラを指揮したそうだ。おそらく有名な歌手とも仕事をしたかもしれない。 室内で朗々とハモンドオル... 続きをみる

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  • リモコン

    親父様存命の頃、電化製品の大半はリモートコントロールなど無く、半身不随だった親父は明るい灯火のもと、テレビ付けたまま眠っていることが多かった。チャンネルと音量が操作できれば( あっても眠っていることはあるのですが )  葬儀の後、リモコンが普及してきました。 長男の部屋には空調にはリモコン操作がで... 続きをみる

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  • 私の先入観念では、4⁄  8 頃桜満開になっています。多分65年前の小学校入学式を強烈に覚えているからでしょう。しかし、3⁄  24でもう散り始めているではありませんか! 確かに前々日の異様な程気温が高く、でも都内と山のここではと七部咲きと思っていたのに大きく異なってしまい、嬉しいような驚いたよう... 続きをみる

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  • 駱駝・キャラバン

    エチオピアだったか駱駝の隊商が存在していました。岩塩を製塩工場に運ぶ仕事で10頭10人程。しかし、120倍の輸送力を有するトラックを見ても隊長余りどうじません。燃料が高価すぎるのか、入手出来ないのか。中古のブルトーザとトラックを使えば塩の値段も安くなり、余剰人員は小麦の生産にまわし、駱駝は観光用に... 続きをみる

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  • 野・球

    日本優勝です。準決勝戦の視聴率ほぼ50%。 遠く明治を思っていました。百年前、当時超モダンな遊びでした、 正岡子規も熱中していました。正岡子規の本名 “ のぼる “ から  の ・ボール  つまり  やきゅう⇒野球と名付けました。  今でも何気なく使われている用語です。

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  • ブライダル

    住むところが決まり、家具や電化製品を買い込み息子達は何かと忙しい。4月には小さな新居に住みたいらしい。私としては静かに然り気無く見守るのが一番のようだ。 今は、式場、旅行、指輪、なんてどうでもよくて同棲から始まるようにしか見えない。 聞くところによると、ご近所様もそれに近かった。時代は大きく変わっ... 続きをみる

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  • 御姫様

    小さな町のイベントにはこの少女の日本舞踊がありました。わりと姿勢良く端正な顔立ちが印象的でした。当時、繊維業が隆盛期で富豪、豪邸という言葉が分かり易い町だった、だから蔵や自家用車(外車)を見た。当然この少女もそんな深窓の令嬢と思っていた。 陽気な紙芝居の爺さんの孫娘だった、近くのアパートの一室に家... 続きをみる

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  • 尺貫法

    学生の頃、「 尺貫法で建物ができなきゃトウシロウ 」 と豪語し肩で風を切って歩く男がいた、物腰は柔らかで助教授タイプの人だった。  ある日、京都三十三間堂に行こうとなった時、彼はいい顔しなかった尺貫法の事を強く意識していたのだろう。多分、“ 間 “ のことが気になったのだろう。          ... 続きをみる

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  • 赤尾敏

    党員2名が日本を震撼させる事件を起こした、その総裁で物騒な人だった。妖鬼漂う白髪鬼のようで印象だった。 まだ都内の端っこならば、独特のポスターがあるかもしれない? 一説には全国区のある当時、選挙ポスターに貼る許可証を売っていたらしい。 選挙中、候補者の1人が 陛下の戦争責任を聞いたところ、「 黴の... 続きをみる

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  • 暑い暑い

    もう直ぐ彼岸、今日は暑い暑い、相当ダウン気味になり、やっとの思いでなんとか帰宅。 今日は、シーサーの飾りのある沖縄風の豪邸と、名を知らぬ白と黄色の木々の近くを歩いたことを紹介します。まさに犬も歩けば棒に当たる  です。ちょっと歩くだけでいろんなものに出会います、病院内の廊下を歩くより御機嫌です。 ... 続きをみる

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  • 100年・200年

    権力はどの位の年月を有するものでしょうか、徳川幕府260年といいますが、徳川直系となると100年です。     出島のオランダ国、幕末の頃には国力はありませんでした。明治から現在まで世界大戦をはさみ80年ずつ。  どうもそんなに権力の踏襲はないのかもしれません。 ◯◯政権といったところで1世紀~2... 続きをみる

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  • 食卓で

    テレビを見たり、食事中につまらないことを言わない方が良いかもしれない。いや、大谷選手の活躍を微笑むのら兎も角、余りケチ臭いことは控えた方が良い。 友人の娘さんが結婚の時、開口一番・・・資産家の家・・・と言った。車を製造する所の御曹司ならいざ知らず、土地売却云々・・農家だった。 彼にはそんな話がつき... 続きをみる

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  • 考え方

    話が煮詰まりつつあります。 新居も決まり息子達と細やかな食事会。 ちょっと、父親として男親と女親の違いを感じました。二つありました、だからといってファイティングポーズを取る話ではありませんが、ドラマ的なことですが小さな新居から始まっています。     息子が思ったよりも優遇されているようです。娘2... 続きをみる

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  • 不思議の国のアリス

    幼稚園か小学校で聞かされたか読ませれたか、私には解らなった。アリスとセドリック以外は記憶にない。  アリスの作者は数学教授、どうも独身者? 吃音だったようだが社交的だったようで少し安堵、( 日本はというと幕末でした。) 「 フランダースの犬 」が日本人に愛されていたようですが、「 ~アリス 」は世... 続きをみる

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  • 兆候

    ペリー来航の半世紀前にロシア軍船が開国・通商を求めて来日。一説にはラッコの販路拡大だったという。時の江戸幕府老中首座は松平定信、50年後暴動になるほど悪い取り扱いをしたようだ。 それを知っていたペリーは電信機、蒸気機関車の模型を携え、なおかつフランス料理を持って来日し不平等ながら条約を結んだ。( ... 続きをみる

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  • 老いて

    老いて息子の意見を聞く。( 水泳一つにしたって今や10代の記録を上回ることはない ) 息子の学生時代の講義を小出しに聴講できるのも楽しい。 確かに政治、店舗、工場を引き継ぐ2代目も少なくないが、平均性が乏しく安定性を欠くが経験値で支えれば良いのではないだろうか。  若者の感性、記憶力の容量は凄いと... 続きをみる

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  • 行政 !

    初めは工事中のビルの屋上の出火とか肩すかしのようなテレビ放送だったが、1時間も経つと津波が激しく襲って来た。余震もあり、帰宅できない人もありテレビも混乱していた。 暫くすると 「 行政 」・ 「 行政 」という言葉が耳についた。水田の給排水が出来ないと泣いてる男もいた。    だいたい一つ一つ、地... 続きをみる

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  • 津波

    3月11日午後3:30。揺れ始めた、ドカンというより “ ビリビリ “ というような小さな異様に長い揺れだった。( 地震時は興奮しているのか2分と思っていたが5分を越えていた) 僅かしか水の入っていないバケツ、揺れて溢れそうだった。団地内も人のいない時間帯か人の姿がない。そう言う我が家も卒業式、卒... 続きをみる

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  • 奉天

    この頃、高校の卒業式が多い。日露戦争時の最終戦の奉天会戦( 1905.02.21~03.10 )に勝利した戦前の陸軍記念日でした。 日本軍・24万人、ロシア軍30万人、という稀に見る大規模会戦だったようですが、日本軍戦死者16000、ロシア軍は9000ですが、行方不明が28000( 捕虜22000... 続きをみる

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  • 神社

    乃木神社、東郷神社は今もあります。あのB29による爆撃もなかった、庶民もこのことを知っていたらしく両神社に避難していたという。特に東郷神社は結婚式場として今も繁盛しているそうですが、バルチック艦隊なんて知っているのでしょうか?  でも縁起いいそうです。    意外なことですが、旅順港閉塞で名を馳せ... 続きをみる

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  • 廉価盤

    20歳の頃、廉価盤レコードが出てきた、当時シングル盤が値上がってきたのにLP盤が半額は正直嬉しかった。 ただ、名の知れぬ演奏家や疑似ステレオ化は、問題だったが何時でも好きな演奏を聞けて至福感があった。 宮沢賢治レコード・コンサートを想像すると、ベートーヴェン運命交響曲などはSP盤5枚です、3分置き... 続きをみる

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  • 幸福感

    興味あることを言っていた、高級車を何台も所有している人、金銭を持っていることを認めるが本当に幸福なのか疑問があるという。 まぁ夢があるとすればそれだけですが。 ノイシュバンシュタイン城を作った国王ですが、他にも2つの築城と計画していた。 生まれたのが幕末期、築城が明治( 同時期、エッフェル塔が作ら... 続きをみる

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  • 花粉

    花粉の飛散が激しいので、こんな眼鏡をしている。ちょと馬鹿げていますが昼も夜も目の痒みを防いでいます。これでも花粉症患者ではないようですが飛びかう花粉には弱い類でしょう。  相変わらず歩いておりますが、真面目には歩いていないようです、よく言えば季節を存分に味わっているのです。第二弾は犬、小人、栗鼠、... 続きをみる

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  • マヨネーズ

    有名なマヨネーズの工場の地主の息子から聞いた話を思い出していた。内容は玉子でも黄身しか使わず、白身は菓子工場に送られてた、だが殻の処分に困っていたそうだ。 殻を使っての野菜作り、マニアル本まで殻を混ぜて作っている。多分殻を使うということは野菜にとっても良く、紙にも悪くはないのだろう。 一つのビルを... 続きをみる

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  • 井伊直弼

    《 桜木町駅から坂を登って行くと、 明治初期の横浜文化施設が立ち並びます。またガスとか記念碑が立っています。 ほぼ登り詰めると図書館、能楽堂の裏手に掃部山公園があり大きな井伊直弼が横浜港を見下ろすようにありますが、建ち並ぶビル群で近くにあるのに海を見ることはできません。以前書いた》( 真垣平九郎で... 続きをみる

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  • 3月3日・ 桃の節句

    雛人形を祀る女の子のお祭り。中に白酒とありますが、これは濁酒( ドブロク )でかなり強い酒、嗜まない私には相当物騒なものです。 そこは庶民には庶民の楽しみ方があったのでしょう。例えば紙で作った、流し雛とかつるし雛とか・・・。 ちょっと前まで桜と雪を愛でるような情景が思い浮かべていたのですが、“桜田... 続きをみる

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  • 天鏡閣

    中学修学旅行の金閣はあまり芳しくはない、3階建築だからそう小さなものではないのに、こじんまりとした茶室のような印象しかないし、再度足を運んだことはない。 足利義満の頃は一種の皇居然としたもので七重の塔が聳え、金閣と廊下でつながる天鏡閣があり、唐物美術館があった。ただし、金閣の左右にあったのか不明、... 続きをみる

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  • 明暦の大火

    明暦の大火、明暦3年1月18日~20日( 1657ー03ー02 )江戸城天守閣まで焼失した江戸60%が燃えた大火災が起きた。様々なエピソードが今日に残っている。。 当時、江戸町人13万人がいたという。そしてこの災害から民政をみるようになり。武断政治から文治政治への大きな転換点になった。     大... 続きをみる

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