遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

天鏡閣

中学修学旅行の金閣はあまり芳しくはない、3階建築だからそう小さなものではないのに、こじんまりとした茶室のような印象しかないし、再度足を運んだことはない。


足利義満の頃は一種の皇居然としたもので七重の塔が聳え、金閣と廊下でつながる天鏡閣があり、唐物美術館があった。ただし、金閣の左右にあったのか不明、建物も当時作られたものを参考に考えたもので詳細は不明。( 4枚目の古写真では右側に渡り廊下が写っている )
( CG等は鹿苑寺の許可は無いそうです。)


足利義満は270点の芸術品を中国より収集、うち40%は牧谿( もっけい=僧侶の描いた水墨画 )でした。そして時々の権力者の間を流転して現代に至っている。

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