遺書代わりのブログ

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明暦の大火

明暦の大火、明暦3年1月18日~20日( 1657ー03ー02 )江戸城天守閣まで焼失した江戸60%が燃えた大火災が起きた。様々なエピソードが今日に残っている。。


当時、江戸町人13万人がいたという。そしてこの災害から民政をみるようになり。武断政治から文治政治への大きな転換点になった。     大名火消しのみだったものが、庶民用の定火消し、火の見櫓を設置。火除け地、広小路、架橋、御救い米、とか現代に近い形成し始めている。


この後、5代将軍徳川綱吉になると、生類憐みの令発布しているが、戦国期の殺伐とした風潮が大きく残り、武士以外は人でないと考えたようなところがあったらしい。時代は元禄( 1700年)で人口も100万人を越えるようになった。
おまけ。米一俵で 100日分。300食分見当。

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