遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

すき焼き

20歳頃、スキー教室の夕食時に部屋の住人が来ずもう少し「 待とう 」というのも聞かずに憮然たる態度と自分の肉片を数え焼き、憤然と食堂を去って行った。私は半世紀の間落ち込んでいた。 鋤という農具で焼いたとあり、私の食べ方は煮込みだそうだ。
では、野菜や白滝をどのように食べたのだろうか? この料理人に疑問を持った。


何かの時、東京下町の老舗のすき焼きは煮込んだやり方だった、少ない肉で食べる良きやり方だったのかもしれない。  でも鍋を囲んで楽しくやるのもいい。
私の家庭も20歳位までは豚肉を使っていた、私は糸こんにゃくが大好物。母方の祖父は大の肉好き、専門店で2人前の牛皿をたいらげたそうだ。祖母も妻も肉を食べることはない人だった。

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