遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

火縄銃は案外全国大名に同数普及したようですが、頻繁に打つことができたかというとちがうようです。どうも自由に弾丸の入手ができなかったようです。現在でもそうですが、機関銃が発明された時点で一分間で200発必要になりました。( パトリオットミサイルは一発一弾で4億円だそうです。)


硝石、鉛は当時でも輸入品でした、甲斐武田氏は古銭を溶かして弾丸にしていたようですが、 カスが溜まり易く尾栓を外しての掃除が必要になったようです。銃の数量だけで見るより弾の数量で歴史を見てみるのもよいだろう。          司馬遼太郎氏の評価によると戦国武将の加藤清正は低いですが、貿易により金銭は豊か?他の大名に硝石を回す程余裕があったそうです。

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