遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

プランナー

余り好きではない徳川政権。実行者と企画者を別けていた。学者達は良くは言わないが、こんなやり方もあるのだろう。例えば、関ヶ原合戦処理で全国を大鉈を持って二分したのが本多正信・僅か2万石の小大名だった。名案が出ても、自ら実行するのとは有り得ないのだろう。( 大国ならば、何をやっても許されるのは本末転倒。)


幕末期の大老・井伊直弼は別格で20万石だったが、その前の老中・阿部正弘も低かった。
幕末300家あったそうだが5万石といえば大藩で、1万石の大名がほとんどだった。明治期煩わしい大名生活より家来のない、参勤交代もない華族に飛び付いたのだろう?  


おまけ。       織田信長、北条氏末裔 ・・・1万石⁓5万石で存続。 武田信玄、足利尊氏、福島正則の末裔は高家として徳川家に使えていた。 ( 豊臣秀吉の末裔もいた?   小堀遠州も2万石の大名でいた。)

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