遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

合流



息子の知人に言わせるとウィーン合流は変という。当初イギリス・ダブリンだったのに、いつの間にかパリとなりコペンハーゲンとなりオーストリアに落ち着いた。その間空港とホテル探しと観光調べは用意ではなかった。でも、イギリスと比べると1日余分になることがわかった。飛行機から決めるととアエロフロート・ロシア航空だったが、息子が8時間遅れの記憶が生々しい、反面ホテルから決めるとエミレーツ航空アラビア経由。料金は同じだがロシアは嫌だった。ウィーンのターワホテルの値段を何度も調べようと試みたが、パソコン操作は年寄りには難しいことだった。ちょっと前にテルミ事件もあったし。( インターネットを使うこと息子の見様見真似・・・座席予約とかチェックとか、別次元の世界でした。)


モスクワからの電話も繋がらなかったが、ウイーン空港では息子の顔を見ることが出来た。
そして、バトンは息子に継承されたことを知った。


おまけ。  スイスとオーストリア、日本に近い・東にあるのはオーストリアです。




幼稚園生のころの両親からのクリスマス・プレゼントです。100円くらいしか入ることがない財布ですがもう70年近くたちました。 流石に皮も硬くなってしまいましたが、思い出が沢山詰まっているようなミットです。

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