遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

ファーブル

もう少し    ノーベル賞ものだったらしい。結局は清貧で人生の幕を閉じたようだ。
と言っても高校の物理教師で理、もし文系の人ならスリリングな長いテレビ放映は見ることがなかったかもしれない。   多少のやらせがあったらしのだが、虫の後を追うばかりでなく予測し先回りしたような推測もあったようだ。ファーブルは昆虫作家であり、学術研究とは少し異なった趣を感じた。           こんな例もある。雑木林で鳴く蝉、ここで鉄砲を発砲したが蝉は鳴き続けていた、人間の言う聴覚がなかったようです。


明治初期、フランスで蚕の伝染病が大発生し、横浜から大量買い付けしましたが、フランスでは医学者パスツール、昆虫学者ファーブルが集められ伝染病から救う研究をしていた。


おまけ。日本では昆虫画家の熊田千佳慕に100枚依頼(ファーブル昆虫記用)51枚、94歳で逝去。

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