ビルマ撤退?
終戦直前のビルマ( 現・ミャンマー )には、牟田口廉也、川辺正三、木村兵太郎、田中新一達がいました。インパール作戦、戦犯など研究話題豊富な人々がいっぱいいました。
余りパッとしない木村が刑務死は開戦時の陸軍次官であったためといわれています。牟田口廉也は皇道派の左遷組。田中新一も東条と対立左遷、しかし極東軍事裁判から逃れている。田中はその後30年を存命している。
指揮所は前線に出ることなく、遥か後方にいる。牟田口廉也は500kmの敵地まで歩いてゆくことを考えていた、なぜなら航空機を使うことを知らなかったようだ。( 1度前線に向かったとあるが何処まで何で行ったかよくわかっていない?)
あまり振れられていないが木村兵太郎ビルマ司令部撤退による軍民置き去り、10万人を遥かに上回る犠牲者が出ている。それでいて “ 死守 “ の命令を外地から発信。 満州でも同様なことが起きている。 フィリピンでも司令官のみ脱出している。 田中新一の言葉に「 エリートのプライドは「兵卒の命」より価値が高い 」がある。陸軍大学はどんな教育をしていたのだろう?