遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

遷都

700年頃までは天皇が代わる度に″首都″ も変わった。 占いとか、寺院僧侶との癒着とかの心理的、あるいは河川水利の物理的条件が含まれていた。しかし、京都を平安京に定めて以来そこに固定された。( 厳密に言えば東京が首都と定めた法令はないそうだ。)


明治期、天皇が東京に上京する時、途中で饅頭を配ったり庶民の生活を興味深く眺めたり ( これまでの天皇は御所から殆ど外出しない。)  江戸では酒と酒杯を配り、酒肴にスルメが添えられていたそうです。江戸っ子は心地良く酩酊したそうですが、主がはっきりした事と、何よりも自分達が安堵された様な歓びがあったのでしょう。幕末、庶民は右往左往していたようですから。

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