遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

デイサービスにて

多少認知のある人達だったが20歳代の記憶は鮮明だった。一番先に口をついたのはもう一ヶ月早く終戦だったら、確かにソビエト参戦も原爆投下も無く50万人以上の人命が助かったろう。   B29の撒いた空爆ビラを信じる者、信じない者がいた。
7月31日から8月1日までの空襲で市街地は全焼。この辺は図書館の記録本でわかるのだが、この後ちょっと驚いた。              2年近くバラックにさえ住めなかったという。真面な建築資材がなく、男もおらず焼けたトタンやブリキで夜露を凌いだという。       


おまけ。5年~6年後、老舗の履物店は更地になっていた。たぶん、他の人(公務員)もこの世にはいないかもしれない。

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