遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

真田幸村


1615年 大坂夏の陣。真田幸村は歴史に名を留めた。徳川家康は翌年逝去している。
前年の冬の陣の折、浜松あたりまで出陣しゲリラ戦を展開したり、木曽川長良川あたりで陣を張るとか、宇治川で対陣するとか勝利するとか、敵にダメージを与えるのを期待するのではない。単純な嫌がらせと時間稼ぎ、初めから籠城し立て籠もったのでは有利な交渉はできない。  つまり、豊臣秀頼、淀君は娑婆を知らないし、大坂側だって秀吉没後20年は経っている経験値がない、老化が進んでいる。徳川側だって同じ事。


平山優氏によれば、秀頼が城を出さえすれば良かったらしい。皇族と同じ位の禄で小藩になっても明治に繋がったかもしれない、なのになのになのである。

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