遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

女性

藤原道長の娘で、一条天皇の皇后でもあった彰子( しょうし )紫式部、清少納言の頃、正確にはいえば上司でもある。 今で言えば、国会・内閣をやんわりと包み込んでいた。私は政治のことは分からないが、官房長官というか女房役というか、ともかくそのような才能に恵まれていたことは確かだろう。

陸奥宗光夫人。不平等条約を改善する為に奔走。本人も英語を話、日本の小説を英訳し海外に広めている。


光淳皇后陛下。終戦の日、夫が定時で帰って来ることを喜んでいた。


升田元名人。女房をスクリューにたとえ、水面より上では役に立たないと言った。
元名人  「 今年もよろしくお願いします。女房殿 」という言葉を残している。


明智光秀は側室を持たなかった。妻の妹が、織田信長の側室だったらしい、しかしこの女性が亡くなると、光秀への風当たりは強くなったという。 間違いなく日本の歴史は変わっていたろう。

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