遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

チェリビダッケ

戦後ベルリン交響楽団がカラヤンを迎え入れることが微妙であったとき、ルーマニアのチェリビダッケを指揮者にしました。この時、難しいとか様々後世に流布拡散したようですが、現在では限定の指揮だったように言われています、ヨーロッパの中で格の違いを見せつける演奏だったと言います。


晩年来日し、(FM中継の際)アンコールでワグナーの「ニュウルンベルグのマイスタージンガー」を演奏した時、会場内のどよめきを感じました。
彼は録音が好きでないものの、ライブ放送が残っていて見聞可能です。

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