遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

津波

小さく揺れた、長かった、終いには歩けない程、精々2分と思っていた。正常で無い時の時制の感覚は乏しい。御神楽造りの2階が何処へ倒れるか建築家の目で見ていた。6分の終わり頃は食器棚からどうでもいい小皿が落ちた。(2階では仏壇が布団の上に軟着陸、本箱の本が落ち、押入れが開かなくなっていた。ガス風呂が自動的に閉鎖されていた。)


当時、地上波、BS放送の工事が国全体に行われていたので、仮設状態でややざらついた画面でテレビ放送を見ていた。  放送局は混乱状態だったが、近くの工事現場と足立区の火災位で被害はまだ少なめ。


この日、卒業式やらで包帯を巻いた私のみが在宅、火や電気の心配は無く揺れが止まった時ホットしていた。僅かな空間で津波のことは頭になかった。  テレビ放送もやや遅れて津波の模様を放映、しかし遠くの定点カメラの画像は恐怖感がす

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