遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

高木惣吉

昭和20年になって、スイス大使館武官より終戦交渉の連絡が米内を通じて高木惣吉に入りました。武官とはダレスでした、この時は国体護持については何ら触れていなかったそうです。  ポツダム宣言で国体護持⇒サブジェクト・トゥーの文言が主戦会議で大問題となりズルズルとソビエトと仲裁を依頼するという最悪の選択を選んだようです。


和平工作といっても東条暗殺という物騒極まりないことまであり、高木惣吉は工作していたそうでづす。(海軍大学主席卒業。フランス留学しています。戦後存命)
昭和20年前の終戦であれば、200万人の命が助かったでしょう。20年5月であればソビエト侵略、原子爆弾投下はありませんでした。

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