遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

テーブル

名物とろろ汁。看板が示すように冬から春先の間の食べ物でした。普段は近隣の川魚などを出していたようです。更に兼業農家で養蚕をしていた。当時、この地区では11軒の店があり今も営業している店舗が一軒あります。
縁台に腰掛けて飲食していますが、座敷に上がったとしても30cm程の膳に載せて飲食します。温泉宿や座布団を敷いた忘年会経験ありませんか?     明治以前、食堂にテーブルが無かったそうです。(極例外的にあった。)
映画「用心棒」のように一膳飯屋の東野英次郎と三船敏郎のテーブルを挟んだ会話はあり得なかったろう。時代考証に詳しい監督が知らぬ訳がない、只無いと絵にならなかったのだろう。

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