遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

野茂

野茂選手が渡米した時は四面楚歌、遠島か島流しの罪人を見る思いだった。何故かトンネルズの番組に出演した。渡米直後に開花したわけではない、1勝が長く遠かった、ファンはその頃から太平洋を越えた。
まるで自分の息子のように付ききりだったラソーダ監督の姿があった。父親はイタリア移民で終生英会話ができない電気工で、彼も記録を残した名選手ではなかったらしい?面倒見よかったのはそんな下地があったのだろう。  一勝すると野茂の大活躍が始まった。


当時、10年しないとアメリカにはいけなかったらしい、しかし野茂の後にイチロー選手、松坂選手、そして大谷選手が後に続いた。 凱旋の折、トンネルズに野球道具一式が贈られた。

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