遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

戦艦・伊勢

戦艦と空母は1世紀前の技術者・用兵者にとって夢であり定まらぬものでもあったようだ、
今から見ると玩具か漫画の世界に見えるのだが当時は必死だったのだろう。例えば、大型船の前後にワイヤーをアンテナのように張り飛行機を止めて、係留するものもあった。駆逐艦のような小型艦からの射出もあった。( これポン6、手当て15000円だったらしい?)


伊勢・日向は後甲板に主砲4門2基を撤去して飛行甲板を作った、プラモデル的には良いのだが22機搭載( 大和で7機水偵搭載)は画期的であったが、当初艦載機をどのようにするか問題あったようだが水偵に落ち着いたという。しかし、改装終了の昭和19年には載せる飛行機がなく、輸送業務に従事し燃料もなく瀬戸内海に空襲により沈没した。

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