遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

青鞜

草食系男子にも入れないひ弱な男から見れば、情熱の歌人・与謝野晶子も思想家・平塚らいてふの生きた時代を知る由もなく、区別さえよくつかず、私にとって怖いおばさんでしかない。


明治44年9月1日、「 青鞜 」創刊。与謝野晶子が巻頭の詩を書いている。依頼者が平塚らいちょう。解説者は面白いことをいっていた、当時平塚25歳。与謝野33歳、既婚子持、頭でっかちの小娘が来たと見たろうとういふ解釈した。意外にも平塚は私が22歳に逝去。

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