正岡子規ー2
正岡子規は仕切り屋だった、自分の葬儀の棺箱の担い手を決めてあったりと、その様なことは好きであったようだ。 野球は子規の幼名 “ のぼる “ 野・ボール=球 から名付けられた。
野球チームのコーチなど大好きだったのだろう。
夏目漱石も正岡の友人だった。 兎も角病床の身であっても仲間を集めワイワイと句会を楽しんでいた。 案外 食いしん坊だったようで、旺盛な創作活動を支えていたかもしれない。
あまり名は出てこないが、正岡子規を雇った新聞社主の陸羯南の娘さん達も協力している。東京・根岸の子規記念館の隣、もしくは前というほど近所にあった。