遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

正岡子規

「 坂の上の雲 」昭和45年頃 いよいよ佳境を迎えようとしていました。この時期乃木大将も説明が必要なほど忘れられていました。正岡子規はともかく秋山兄弟は四国松山出身でも存在の薄いい人だった。 作者にしても子規の死亡で終わる予定だったかもしれません。後は世論に押され日露戦争終了まで書き続けたかもしれません。素人が読んでも文体が変化しているのがわかります。    新しく大きく変わった世の中の明治を溌剌と坂を上るが如くの3人の姿を生き生きと描かれて日清戦争後につもりでいたかもしれません。


その後 「 ひとびとの跫音(きょうおん)」を書いています。あまり評判にはなりませんでしたが、作者最後の方の長い小説だったでしょう。もう一つが、正岡子規の妹の夫から見た
英雄豪傑が主人公でもなく、資料が押さえられている点が引っ掛かり読んでもいない。
続く。

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