遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

黒板


若い夫婦が名古屋に来た、自由に長旅ができたのだから私は4歳位だったかもしれない。私はというと背を向けて、自分の玩具と夢中になって遊んでいた記憶しかない。もし、土産の黒板が無かったら何も思い出は残らなかったろう。


普通に絵を書いたり文字を書いたりしていたが忘れるはずだった。まだテレビの無い頃ナイター中継の得点掲示板として使った。そのうち洗濯機の側に貼られた、転居までの21歳まで生き残った。   只の黒板ではなかったようです、“ 絆 ” がありました。

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