遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

徳川慶喜

武道館近くにあるのが田安門。この近くにあったのが一橋家、徳川一門で聞こえ良いですがあくまでも控の家、大学で言えば講師控室みたいなもので、将軍万一の時にまかり出でる男の準備室・・・控えの場。だから家臣は出向で家来も無いと言う家柄です。そこにいた慶喜が15代将軍になると、急遽家臣団を応募、その中に渋沢栄一兄弟がいたわけです。


当時の金持ち農民の子弟は剣道場に通ったり、学問を学んだりしていました。やはり今、公務員になりたいようなものでしょう。関西ではそのようなことはあまりなかったそうですが、関東ではあったようです。新選組が分かり易いでしょう。 また長屋の住人クラスでも西洋知識愛好会倶楽部があって無智ではなかったようです。        国家が鈍感で 庶民が鋭敏であるわけでない。 日本にも、目もあり耳もあるただ時間が掛かるだけ。

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