遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

掃除人




草鞋使うようになって旅人や雑兵は腰に幾つかぶら下げていたのではないだろうか?
米・麦の国では藁には困らなかったが、耐久性がなく安価。茶店には草鞋が常備されていたと思える。
関ケ原の戦い直後、徳川側の兵士が味方の救出、敵のとどめ? に 出る。次に道具屋が武具を漁る。さらに近くの農民が集める。農村には武具が蓄積されていた。映画(七人の侍)より。 全く映像にないが死者は布をかけてはおらず、弧もが掛けられていたのではないだろうか、戦前の中国戦線では服を着ていなかったらしい?
壇ノ浦。赤く染めた旗一旒で百万円、数本が波間に漂うものではない、まして女官の着物?
髪さえ無かったかもしれない?   年号を覚えるだけでは、


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