遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

空襲


老人施設のアルバイトの話。痴呆症の老女達ですが、当時20歳前後で体験は鮮烈な記憶になっているようでした。一人は元市役所職員、一人は老舗下駄屋の娘さん、もう一人は?
その夜、ビラを読んで密かに浅川に避難、かなりの家族がいたそうです。ビラの信ぴょう性を信じて・・・B29は南側より飛来、市街は簡単に焼失。翌日、被害者は浅川橋寺院前に並べ置かれたそうです。(二週間後 終戦 )


直ぐにでも再建したように思いましたが、焼け残った資材を集め2年間はそのままで耐え忍んだといいます。建築資材と人材が集まるまで2年掛かったそうです。(本でもあまり書かれてはいませんでした。) 瓦礫整理のあるドイツ、でも人材資材共に無く矢張り大変だったようです。


5年後、老舗下駄屋は更地になり売地になっていました。
何時の戦闘にも非戦闘員に被害が及ぶこと至極普通のことです。


盆休みは道路渋滞、海は土用波がたち、あまり嬉しいとは思わなかったし、遊びたい盛りの休みは4日程で一週間なんて夢のまた夢の世界でした。 ◯◯珈琲店にレジャー 擬きで寛ぎました。喫茶店での夕食はチェアー・テーブルの応接器具が何とも贅沢を味わいました。

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