遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

2.26🎎

2.26事件、事実上関連関係者の存命者も極めて少なく、織田信長や聖徳太子と同じ様な研究者達に委ねられようとしています。  余程の資料が出ない限り、謎を残したまま記録されてゆくことでしょう。    事件当夜、劇的に降雪があったように言われていますが、この年の2月は雪が多く東京は雪が解けない、いわば白い世界だったようです。


事件を指揮した将校の中に、陸大受験を控えていた尉官もいたといいます。??
大正期( 大戦後 )、世界的軍縮の中で兵学校卒業したものでさえ、50歳前に予備役編入( 定年退職 )となり、部隊内で就職講習会が開催されたり中間管理職は穏やかではなかったようです。そんな目で支那事変、第2次大戦をみると別のものが見えてくるかもしれない。


おまけ。事件の朝、落語家の古今亭志ん生愛宕山NHKで一席、しかし羽織がなかった、
同僚の三遊亭圓生が志ん生をたずねた。 その時新兵で銃を担ぎ山王ホテルにいたのが三遊亭小さん。《  名称は後の名、当時は若手落語家 》

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