遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

御巣鷹山


夫婦の登山姿を額に入れ、大切にしている老女を老人施設で見た。万事派手好き、孤高の人でてっきりスイスアルプス登山のスナップと思った。


38年前、東京・広尾からの帰路キョロキョロとトラックの窓から外を見ていた。どのテレビもアナウンサーの姿を見て、 大きな事件発生を感じとった。「 極東軍事裁判ー後編 」は駄目になったとがっかりした。(  8月12日のことだった。)


老女、一人息子をこの事故で失った。医大の4年生で後1年で医者になって父親の病院を継いでいたろう。事故後その夫も息子の所へ旅立って行った。 6畳ほどの空間に入ってきた。
セレブのマダム然とした人だったが、戦時中勤労奉仕で三鷹( 現・国際基督教大学 )で鉢巻をして・・・でも空腹だったという。

×

非ログインユーザーとして返信する