遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

徳川慶喜


徳川慶喜には謎がある。そもそも水戸家とは将軍・天皇を守るのが任務で江戸詰め、本国には壮麗な天守閣をもっていない。そして、征夷大将軍にはなれないという。
だが、慶喜公は将軍になったが江戸城に入城してはいない。
一橋家というが机一つ置き○○銀行東京店というようなもので、職員は徳川家の出向社員で兵はいない。言わばスペアの保管場所。 慶喜公の父母は斉昭、有栖川家で純粋の武家ではなかったようだ。だから大政奉還や大坂より軍艦で敵前逃亡したのは無理からぬことがあったかもしれない。
明治になって西郷・大久保によって失脚、大正期まで長い趣味三昧の生活を送る。しかし、その時ライバルはいなくなっていた。

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