遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

ショパン

5年おきに開催されるショパンコンクール、好成績を得ればピアニストとして世界中で活躍出来える登竜門と言える。  ショパンらしさというには音楽家達の夢が盛り込まれているようで仕方ない。   サロンとか小規模なところでの演奏に適したようで、大ホールでの演奏は適さず死の直前のイギリス演奏ツアーは散々だったという。  ピアノの進化過程なのかショパンの個性だったのかは私にはわからない。


ショパンの写真が一枚残っているが、最晩年でふっくらしているようだが浮腫みが出ているのかもしれない。流石にジョルジュ・サンドは30年程存命し写真も残っている。ショパンが幕末少し前に歿していたのにたいしてサンドは明治初期歿した。
もう少し記せば、ショパンは彼女と10年同棲し別れた後、2年後に逝去している。サンドの献身的な環境づくりに寿命が延び、作品が増えた。彼女の随筆によれば曲想の浮かばない時のショパンはオロオロと涙を溜めていらとか書き残している。

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