群れたがり、一匹狼、
東条英機。大戦のビジョンは無いと揶揄されていた、あの時期の政治家軍人としてあまり出番はない。必ずしも優秀な人材ではなかったようだ、陸軍大学に何度か入試失敗し先輩達の助力を得ている。反面先輩達の覚えがよく部下の面倒見が良かったといわれている。そんな訳だから視野は狭かったかもしれない。
戦後、東北の臨時裁判にリヤカーに乗って石原莞爾は現れて、(無能な)東条との意見対立も論争など無いと言ってのけた。石原の存在を強く示して、そして間もまく逝去した。
石原は東京見物がてら陸大を受験した、ともかく群れを作りたがらない一匹狼だったらしい。もう少し言おう、満州事変を起こしたのは石原だった、それが日支事変になってしまいここで意見どころか進退にまで発展した。満州事変で中国戦線拡大した軍部と石原の対立だった。石原は拡げすぎた懸念をいだき、アメリカまで交戦した東条。
軍事裁判で再度立場が逆転した。