遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

豆腐

吉川英治の「 新・平家物語 」では木曽義仲が豆腐の食べ方が解らず顔中白くなっていたと、面白おかしく描写されていましたが、豆腐は遣唐使の頃伝来しているはずで、味噌・醤油などの大豆製品です。作家が知らぬわけがありません、まぁものを知らぬ粗野な人を強調したのでしょう。
もお一つ加えればこの時期は不況で食物が無かったようです。豊作でもどの位余剰があったのでしょう?  不作というのはどの位の減産だったのでしょう?  飢饉というのが歴史には多く登場します。


木曽義仲は旭将軍といわれていますが、巴御前と共に美男美女の評価は変わりないようです。😊👍

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