豆腐
吉川英治の「 新・平家物語 」では木曽義仲が豆腐の食べ方が解らず顔中白くなっていたと、面白おかしく描写されていましたが、豆腐は遣唐使の頃伝来しているはずで、味噌・醤油などの大豆製品です。作家が知らぬわけがありません、まぁものを知らぬ粗野な人を強調したのでしょう。
もお一つ加えればこの時期は不況で食物が無かったようです。豊作でもどの位余剰があったのでしょう? 不作というのはどの位の減産だったのでしょう? 飢饉というのが歴史には多く登場します。
木曽義仲は旭将軍といわれていますが、巴御前と共に美男美女の評価は変わりないようです。😊👍