チャイコフスキー第四交響曲
劇場支配人によれば、チャイコフスキー第六交響曲 (悲愴 )は表題がついているだけで桁違いの演奏演目になるのに四と五は不人気だそうです。私の場合は六に至っては全曲通しで聞く機会を待たず、四・五は百は軽く越えるほど聞く機会に恵まれました。
つい最近までチャイコフスキーが同性愛者と語られることはありませんでした。1877年短すぎる結婚生活をしています。この時、第四交響曲を書き始めたようですが後ろにゆくほどイタリアに近づいていることがよく解ります。(第三楽章のピチカートはバラライカをイメージしている) 彼はここで “イタリア奇想曲 “ を書いています。
1877年といえば明治9年、鉄道でイタリアに行けたのだろうか? また楽しみが一つ増えました。 白ロシアという第三交響曲がありますが、なぜかウクライナとも呼ばれているそうです。