遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

島流し

島流しというのは大昔は死刑を意味したらしい。江戸期永代橋からの見送りと金杉橋とでは生死を別けたそうだ。( 金杉橋は一種の懲役刑でした)源頼朝、後鳥羽上皇などの場合は付き添いの人が同行したり、現地で待機などがあり少しは違うが一般人とは大きく異なる。


頼朝の場合は夫婦で付き添い、馬までいたという。 後鳥羽上皇の場合は多分付き添いがいたのだろう、京風の文化を伝え和歌を伝授していたというが、比較的短命で逝去している。
関ヶ原の敗将、宇喜多秀家は半世紀を生き抜きつまらぬストレスも無く長生きしたという。

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