遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

鉄道開通余話

明治5年、新橋⇔横浜間、30km開通( 明治が終わるころ全国鉄道網完成 )思った以上に出足から難問山積み状態だった。どちらかと言えば強兵論が強く鉄道など後回し?結局は大隈重信・伊藤博文・( 井上勝 )が資金調達役となった。


アメリカは経営権のみで無償で鉄道敷設。良いようで万一の時、線路上はアメリカ国になり最終的には日本が植民地化されるという危険性を秘めていた。勿論即答で断った。
次はイギリス人の投資家、早い話高利貸し。契約したものの兎も角断わった。
三番目はイギリス・パークスを通じて英銀行から借りた。
計画では今の1000億円。( 当時の国家予算半年分 *30%を鉄道費に)鉄路も新橋・横浜間のみ、橋梁も木造。枕木もコンクリートから日本製木材に変えた。


西郷・大久保は強兵派だった。しかし鉄道敷設は統一時刻。国家意識の統一に役立ち富国に繋がる・・・・。この後、明治天皇は鉄道開通と電気開通式で日本全国をまわる。


おまけ。50年前ですが、裏日本の分校の修学旅行で一区間だけの新幹線乗車、男女10名程の肩掛けカバンの小さな集団が意気揚々とした、嬉しそうに歩く姿を鮮明に覚えている。
《  東京⇒新横浜  鎌倉見学したのだろう?》

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