遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

石田三成


「どうする家康」 1600年秋、関ヶ原合戦において西軍の将の石田三成。最近評判が少し見直されてきているが、刑死した事実は動かし難い。


悪戯に合戦をすることよりも秀吉の為に秀頼に寄り添う生き方もあったのではなかろうか? 家康を撃つより死をゆっくりと待てば、大坂両陣も別の形になっていたろう。片桐且元よりは良かっただろう。秀次や利休事件など暗い面もあることはあるが、三成は残念ながら事務官僚であって将たる器は持ち合わせていなかったのが惜しまれる。


家康の知恵袋と呼ばれる組織があった、意外にも10万石程度の低い人々が老中とか、今でいう閣僚になり国家を運営していた、歴史家は決して良くは言わないが、内実非常に優れていたと思う。人間には力関係というのがあって、石数のみで国家運営にあたると武力だよりに行動する傾向にあるから良くないというのだろう。


おまけ。 意外と知られていないが、三成の息子、娘が存命。家康が手を付けなかった。

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