遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

今川氏真

親父様が桶狭間で戦死したとうのに、サッカーに現を抜かして滅亡したと思いきや明治まで家系を繋げた。武士と言っても義元自身お歯黒で眉を書いていたのだから、かなり貴族化していたのは事実だったようだ。なまじ突撃型の武士とは大きく異なり、のらりくらりと生き延びる姿があった。 短歌を読み、蹴鞠等々皇室、貴族との複雑なやり取りに明るい。
忠臣蔵の吉良上野介などもいる。


捨扶持というが、吉良は5000石。500石というと現在の都庁に努める課長並みという。
1000石というと1000人を養う領地を意味できる。石を20万円と計算してもよいだろう?
1000石×20万円×0.5として2億円、一両10万円としても1億円の年収になる。大石内蔵助も家老職で1300石です。


幕末期、今川家は中老まで進み、明治新政府のポストを得てハッピイエンドですが、調べてみると息子が早死にし、養子を迎える程の金もなく、娘を嫁に出し今川家はここで消滅しました。男系世襲制の難しさでしょう。でも、代々息子が早死にしたり養子を出したり迎えたりと非常に複雑でした。

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