遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

バウム・クーヘン


多分、日本中どこでも入手可能、誰でもこのドイツ菓子を知っているだろう。意外にもドイツでは知られていないという。
BS放送の受け売りですが、北ドイツの郷土菓子で厳しいパン職人制度が広がることなくこの地の物になったようです。゛ユーハイム ゛はここで修業した職人だったようです。
戦後、ユーハイムは病没、息子は戦死、弟子達が暖簾を神戸で守りました。
ここでのクーヘンはゴツゴツとした形で、暖かく食べることもあるそうです。

畑・梅雨の合間

都内某所100ショップで廃棄物、多分工作用の角材でも入っていたのでしょう?
外部、雨曝しで10年あまり、さすがに仕切りべニアと床板が壊れてしまいました。そこで簀子用発泡板でコの字を4個作り貼り合わせて挿入。外部を針金で締めてもう少し使いたいのです。        
更地にした畑、土はホームセンター・オープンで100㍑購入。トウモロコシと薩摩芋を植え替える予定です。  
ソロソロ苺は終わり。

上杉鷹山


上杉家120万石から15万石になっていたが武士の数は減ることがなく、家族を含め4万人が15万人の都市に犇めいた。1800年頃上杉鷹山が経済改革を行った。
倹約令や法律の改正ではなく、産業の実践・実行でなおかつ儲けることだったように思う。儲ける生産は難しい。             有り余る武士を開墾開拓に使い桑を植え養蚕製糸、そして絹織物は女性が担った。さらに水溜りで鯉を養殖、餌やりに老人と子供が当たりました。試行錯誤はありました、人の反対もありました。  
明治になり近隣藩没落の中で、山形牛、絹織物、鯉料理は今日まで生きています。
鷹山は一代で借財返却したとも、明治まで残ったという説がありますが、大幅に返済したのは確かなようです。