遺書代わりのブログ

2025年。元気で生きていたい。

後白河法皇



法住寺。あまりピンと来ないしだいいちどこにあるかもわからないけれど、皇室に名を留めるれっきとした陛下の住まい。歴史の中では平清盛、源頼朝、源義経が出てくれば必ず出てくる聖徳太子と並ぶほど知られている。


寺の左右幅は80m。宇治平等院40m。鎌倉永福寺400mという。法住寺は跡形も無くなくなってしまったが三十三間堂近くで墓所まである。平等院鳳凰堂は現存し10円硬貨に刻まれている。鎌倉は都市化にあって池と基壇部分が残された。


これらの建築物は浄土思想、つまり天国を具現化したものという、寺院としての名がつくが一般人は塀の外から屋根しか見えかったろう。また、壁などには天女達が楽器を演奏する姿が描かれていたという。また左右の2階回廊はそもそも飾りという。少し調べるーーー。


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